殺生石・遊行柳

原文

是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、「短冊得させよ」と乞。やさしき事を望侍るものかなと、

野を横に馬牽むけよほとゝぎす

殺生石は温泉いでゆいづる山陰にあり。石の毒気どくきいまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほどかさなり死す。

那須の殺生石
那須の殺生石

又、清水ながるゝの柳は、蘆野の里にありて、田のくろに残る。此所の群守戸部某こほうなにがしの、「此柳みせばや」など、折ゝにの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。

田一枚植て立ち去る柳かな

語句

■殺生石 栃木県那須湯本温泉付近にある溶岩。有毒ガスが吹き出ていて近づく人や動物を殺したのでこの名がついた。陰陽師阿部康成に九尾の狐の正体を見破られた玉藻前が那須野で殺されたあと、殺生石になったという。 ■口付のおのこ 馬の轡を引っ張っていく男。 ■短冊 句を書いた短冊。 ■清水ながるゝの柳 西行法師が「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」(新古今集、山家集)と詠んだことで有名となった。後に謡曲「遊行柳」によって歌枕として知られるようになる。謡曲「遊行柳」は観世小次郎信光作。1514年初演。老人の姿をした柳の精が遊行上人(一遍)と対話する筋で、柳の精が昔ここを西行法師が訪れたことに言及する。「遊行」は一遍上人(1239-1289)。諸国行脚し踊り念仏を行った。時宗の開祖。「敦賀」には二世他阿上人の話が出てくる。 ■芦野の里 芦野氏三千六百万石の地。現栃木県那須郡那須町芦野。 ■田の畔 田のあぜ道。 ■戸部某 こほうなにがし。芦野民部資俊。民部の唐名が戸部なので戸部某といったもの。自筆本では「故戸部某」。曾良本では「故」を消して「戸部某」。芦野民部資俊の江戸屋敷は湯島天神近くにあり芭蕉とは交流があった。■立寄侍つれ 西行の歌の「立ちどまりつれ」に対応した表現。

現代語訳

黒羽を出発して、殺生石に向かう。伝説にある玉藻前が九尾の狐としての正体を暴かれ、射殺されたあと石に変化したという、その石が殺生石だ。

黒羽で接待してくれた留守居役家老、浄法寺氏のはからいで、馬で送ってもらうこととなった。

すると馬の鼻緒を引く馬子の男が、「短冊をくれ」という。馬子にしては風流なこと求めるものだと感心して、

野を横に馬牽むけよほとゝぎす

(広い那須野でほととぎすが一声啼いた。その声を聞くように姿を見るように、馬の頭をグーッとそちらへ向けてくれ。そして馬子よ、ともに聞こうじゃないか)

殺生石は、温泉の湧き出る山陰にあった。石の姿になっても九尾の狐であったころの毒気がまだ消えぬと見えて、蜂や蝶といった虫類が砂の色が見えなくなるほど重なりあって死んでいた。

また、西行法師が「道のべに清水ながるゝ柳かげしばしとてこそたちどまりつれ」と詠んだ柳を訪ねた。

その柳は蘆野の里にあり、田のあぜ道に残っていた。ここの領主、戸部某という者が、「この柳をお見せしなければ」としばしば言ってくださっていたのを、どんな所にあるのかとずっと気になっていたが、今日まさにその柳の陰に立ち寄ったのだ。

田一枚植て立ち去る柳かな

西行法師ゆかりの遊行柳の下で座り込んで感慨にふけっていると、田植えをしているのが見える。(私は?)田んぼ一面植えてしまうまでしみじみと眺めて立ち去るのだった

解説

前半の殺生石、後半の遊行柳。扱う題材が対照的で、文章の雰囲気もがらりと変わります。重々しい前半とさわやかな後半。朗読するときは意識して雰囲気を変えてみるといいですね。

「殺生石」は陰陽師阿部康成に九尾の狐の正体を見破られた玉藻前(九尾の狐)が那須野で三浦義明ら武士に殺されたあと、殺生石になったという伝説の石です。

那須湯元温泉の源泉に、ゴロゴロと岩が転がっていて、ここに問題の殺生石があり、観光地になっています。岩から有毒ガスが噴出すので、このような物語が生まれたようです。

後半は遊行柳。那須の芦野にあった柳の木で歌枕です。何の変哲も無い柳の木がなぜ歌枕になったのか?歌枕というものの発生をさぐる意味で興味深い事例といえます。

遊行柳はまず観世小次郎信光(1435-1516)作の謡曲『遊行柳』に描かれました。遊行上人…あの「踊り念仏」で有名な鎌倉時代の僧、時宗の開祖として知られる一遍上人が那須の朽木を歩いていると、一人の老人があらわれ上人を招きます。

ついて来られよ。なんですか。いいから来なさい。だまって上人が老人についていくと、柳の木のもとに至りました。老人は語ります。これぞ昔、西行法師が訪れて「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」

…道端に清水が流れている。そこに映った柳の影が見事だなぁ。ちょっと立ち止まって眺めていくか。そう詠んだ柳の木です。

語り終えると老人はスーッと消えてしまいました。実は老人はこの柳の木の精だった…という筋書きです。

西行のこの歌はたしかに『古今和歌集』にありますが、白河上皇の鳥羽の離宮の襖絵を見て詠んだ歌です。特定の柳を詠んだものではありませんでした。

しかし西行の歌が有名になると、あの柳はどこの柳なんだという場所さがしが始まり、いつの間にか那須の芦野の柳がそれだということになり、その後、謡曲『遊行柳』が創られるに至って確定しました。

はじめは歌のイメージだけだったものが、いつの間にか現実の場所にあたはめられていたわけです。歌枕というものの性質を知る上で、興味深い事例です。つきつめて言えば歌枕とは現実の場所ではなく、人の頭の中にあるイメージだと言えます。

それにしても芭蕉はとことん西行に入れ込んでいます。西行の名のある所、野を越え山を越え谷を越え、どんな困難があろうと訪ねていくのです。軽くストーカーのような…

芭蕉は話にきいていたこの西行ゆかりの柳を実際目にして

田一枚植て立去る柳かな

と句を詠みます。この句は昔から解釈がわかれています。

田一枚植えて立ち去る柳かな…柳のところで田んぼを一枚植えてから、立ち去った。だいたいの意味はわかりますが…

田を植えたのは農夫なのか、芭蕉なのか、じゃあ曾良は手伝ったのかどうか…さまざまに解釈の余地がある句です。

テストで、答えを書かないといけないとなると、困ってしまう句です。

しかし自由に発想を広げて、いろんなイメージがあっていいのではないでしょうか。解釈に幅があり自由な発想の余地があるのも俳句の面白さです。

田一枚植えて立ち去る柳かな…芭蕉と曾良が田んぼのあぜ道で、柳の陰でくつろいでいると、早乙女たちが田植えをしている。

その様子を、夢中になって眺める芭蕉。芭蕉は農家の出身ですから、農作業にはなつかしさを感じたかもしれません。

で、夢中になってながめていると、

「お坊さん、興味あるなら、こっち来て、手伝わんかね」
「えっ、私ですか。しかしこの格好ですから…」
「そんなもん巻き上げる巻き上げる。
さ、人手が足りないんだから」
「おおっとっとっと」

田んぼの中にひっぱりこまれる芭蕉。

「先生!がんばってくださいね」
「曾良!お前はどうするんだ」
「私は…ここで昼寝してます」
「そんなんあるか!」

こうして田植えに加わるはめになった芭蕉ですが、最初はぎこちない手つきだったものの、もともと伊賀上野の芭蕉の実家は農家です。

だんだん体がカンを取り戻してきて、夢中になって働く芭蕉。せっせ、せっせと植えていって…いつしか田んぼ一枚植え終わっていました。

「いや~ご苦労さま。あんた最初は手際悪かったけど、
だんだんよくなってきたね」
「筋がええよ」
「はあ。どうも。ありがとうございます」

田んぼの横の用水路でザバッと手足を洗わせてもらって、その場を立ち去った…

田一枚植えて立ち去る柳かな

…私は、このような物語をイメージしています。


朗読・訳・解説:左大臣光永


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