那谷

原文

山中の温泉(いでゆ)に行ほど、白根(しらね)が嶽(だけ)跡にみなしてあゆむ。左の山際に観音堂あり。花山(かざん)の法皇、三十三所(さんじゅうさんじょ)の順礼とげさせ給ひて後、大慈大悲(だいじだいひ)の像を安置し給ひて、那谷と名付給ふと也。那智、谷汲(たにぐみ)の二字をわかち侍(はべり)しとぞ。奇石(きせき)さまざまに、古松(こしょう)植ならべて、萱ぶきの小堂(しょうどう)、岩の上に造りかけて、殊勝の土地也。

石山の石より白し秋の風

語句

■山中の温泉 現石川県江沼郡山中町の温泉。 ■白根が嶽 白山。歌枕。加賀・飛騨の境。富士・立山とともに日本三大名山の一つ。「消えはつる時しなければ越路なるしら山の名は雪にぞ有ける」(凡河内躬恒・古今集)。平家物語「倶利伽羅落」に木曽義仲が白山の社に戦勝祈願のため馬を奉納する場面がある。 ■観音堂 現小松市那谷町の那谷寺の大悲閣。 ■花山の法皇 65代花山天皇。在位984-986。17歳で即位。986年19歳で剃髪して出家、退位した。出家の原因は寵愛した女御が亡くなったことに加えて関白藤原兼家の策謀があったとされる。出家し法皇となった後は紀伊国熊野からはじまる三十三の観音霊場を巡礼。 ■三十三所 西国三十三所。三十三か所の観音霊場の総称。養老2年(718年)徳道上人が地獄から持ち帰った宝印に従い霊場を定めたとされる。 ■大慈大悲の像 広大無辺の慈悲あふれる観世音菩薩の像。ただし花山法皇が設置したわけではなく、それ以前からあった。 ■那谷 石川県小松市の那谷寺。養老元年(717年)泰澄法師によって「自主山厳屋寺」として開基。その後、花山法皇によって「那谷寺」と改名された。 ■那智 現和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある那智山青岸渡寺。西国三十三所の一番札所。 ■谷汲 現岐阜県揖斐郡谷汲村にある谷汲山華厳寺。西国三十三所の三十三番札所。 ■殊勝 おごそかな様子。

現代語訳

山中温泉に行く道すがら、白根が岳を背にして歩んでいく。左の山際に観音堂がある。花山法皇が西国三十三か所の巡礼をおとげになって後、人々を救う大きな心(大慈大悲)を持った観世音菩薩の像を安置されて、「那谷」と名付けられたということだ。

三十三か所の最初の札所である那智と最期の札所である谷汲から、それぞれ一時ずつ取ったということだ。

珍しい形の石がさまざまに立ち並び、古松が植え並べられている。萱ぶきの小さなお堂が岩の上に建ててあり、景色のよい場所である。

石山の石より白し秋の風
(意味)那谷寺の境内にはたくさんの白石があるが、それより白く清浄に感じるのが吹き抜ける秋の風だ。境内にはおごそかな空気がたちこめている。

解説

石川県の山中温泉を目指して進んでいきます。左に見えてきた寺が、花山法皇ゆかりの、那谷寺です。花山法王は平安時代中期、一条天皇の前の代に位にありましたが、17歳で即位し19歳でご出家、退位されました。

原因は、寵愛していた女御が亡くなったことでしたが、
ここに藤原氏の陰謀がからみます。

「ああ…朕はもう生きていても甲斐なき命じゃ。
天皇の地位など、嫌になった」

「お察しいたします。いかがでしょう。ご出家なされましては。
不詳この道兼もお供いたします」

「おお出家か。そうだな。すぐに出家しよう」

こうして花山天皇は側近の藤原道兼とともに山科の元慶寺(がんけいじ)に向かいます。
花山天皇は元慶寺につくと、そうそうに髪をおろされましたが、
藤原道兼は、

「最後に父に挨拶をしてきます」
「そうか。この世の名残であるからな。早く戻ってきてくれ」

しかし、道兼はいつまで経っても戻ってきませんでした。
「どうしたのじゃ…何をしておるのじゃ」
次第に不安になられる花山天皇。

実は、道兼は最初から出家する気などなく、まんまと
京都へ逃げ戻っていました。

その間、道兼の父右大臣藤原兼家(『蜻蛉日記』の作者の旦那です)は清涼殿に息子たちを差し遣わします。

「それっ!三種の神器を取り押さえよ!」

皇位継承の証たる三種の神器を取り押さえ、
孫にあたる懐仁親王(やすひとしんのう)のもとに遷します。

「騙された…!」

花山天皇がお気づきになった時には、もう後の祭りでした。
こうして懐仁親王は一条天皇として即位し、
後世「一条朝」と呼ばれる華やかな時代の幕開けとなります。

かの清少納言や紫式部、藤原実方らが活躍した時代です。
しかし、そんな華やかさの陰で花山天皇は半ば騙まし討ちのような
形で、天皇の位を奪われてしまったのでした。

寛和2年(986年)6月23日
寛和の変(かんなのへん)です。

また花山法皇は
西国三十三所をはじめられたことで有名です。西国三十三所、現在でもめぐる方が多いですね。一番目の札所が那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ)、三十三番目の札所が谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)ですから、那智、谷汲それぞれの頭文字をとって、その中間の寺を那谷寺と改名しました。

境内にはさまざまなめずらしい形の石がひしめきます。

石山の石より白し秋の風

秋の風は石山寺のまっしろな石よりも白い感じがする。風が白いとはかわった表現ですが、中国の五行説で四季を色にあてはめます。青春、朱夏、白秋、玄(黒の意味)冬。青春はいうまでもないですね。白秋は北原白秋のペンネームのゆらいです。


朗読・訳・解説:左大臣光永


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