等栽
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福井は三里計(ばかり)なれば、夕飯(ゆうげ)したゝめて出(いづ)るに、たそかれの路(みち)たどゝし。爰(ここ)に等栽(とうさい)と云(いう)古き隠士(いんし)有(あり)。いづれの年にか、江戸に来りて予(よ)を尋(たずぬ)。 遙(はるか)十(と)とせ余り也。いかに老さらぼひて有(ある)にや、将(はた)死(しに)けるにやと人に尋(たずね)侍(はべ)れば、いまだ存命して、そこゝと教ゆ。市中ひそかに引入(ひきいり)て、あやしの小家(こいえ)に、夕貌(ゆうがお)・へちまのはえかゝりて、鶏頭・はゝ木ヾ(ははきぎ)に戸ぼそをかくす。さては、此(この)うちにこそと門(かど)を扣(たたけ)ば、侘しげなる女の出て、「いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや。あるじは此(この)あたり何がしと云(いう)ものゝ 方に行(ゆき)ぬ。もし用あらば尋給(たずねたま)へ」といふ。かれが妻なるべしとしらる。むかし物がたりにこそ、かゝる風情は侍れと、やがて尋(たずね)あひて、その家に二夜(ふたよ)とまりて、名月はつるがのみなとにとたび立(だつ)。等栽も共に送らんと、裾(すそ)おかしうからげて、路の枝折(しおり)とうかれ立。
現代語訳
福井までは三里ほどなので、夕飯をすませてから出たところ、夕暮れの道なので思うように進めなかった。
この地には等裁という旧知の俳人がいる。いつの年だったか、江戸に来て私を訪ねてくれた。
もう十年ほど昔のことだ。どれだけ年取ってるだろうか、もしかしたら亡くなっているかもしれぬと人に尋ねると、いまだ存命で、けっこう元気だと教えてくれた。
町中のちょっと引っ込んだ所にみすぼらしい小家があり、夕顔・へちまがはえかかって、鶏頭・ははきぎで扉が隠れている。
「さてはこの家だな」と門を叩けば、みすぼらしいなりの女が出てきて、「どこからいらっしゃった仏道修行のお坊様ですか。主人はこのあたり某というものの所に行っています。もし用があればそちらをお訪ねください」と言う。
等裁の妻に違いない。昔物語の中にこんな風情ある場面があったなあと思いつつ、すぐにそちらを訪ねていくと等裁に会えた。
等裁の家に二晩泊まって、名月で知られる敦賀の港へ旅たった。等裁が見送りに来てくれた。裾をおどけた感じにまくり上げて、楽しそうに道案内に立ってくれた。
語句
■福井 松平兵部大輔昌親二十五万石の城下町。現福井市。 ■等裁 福井の俳人。神戸洞哉(かんべとうさい)。貞室の門人。越前俳壇の長老。もとは連歌師だった。「猿蓑」に江戸に芭蕉を訪ねた様子が書かれている。字が違うのは故意か? ■あやしの小家 「かの白く咲けるをなむ、夕顔と申し侍る。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になん咲きはべりけると申す。げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、この面(も)かの面、あやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ軒のつまごとに這ひまつはれたるを…」(『源氏物語』夕顔) ■はゝ木ヾ 帚木。アカザ科の植物。茎は干して箒にする。ホウキグサ。 ■昔物がたりにこそ… 源氏物語「夕顔」を念頭に置いているか。光源氏が夕顔の住むあばら家を訪ねていく場面。「昔物がたりなどにこそかかることは聞け、といとめづらかにむくつけれど」 ■つるが 敦賀湾に面する北陸第一の港町。現福井県敦賀市。歌枕。 ■路の枝折 道案内
解説
福井には芭蕉の旧知である等栽が住んでいるということでした。
「そうはいっても以前江戸で会ったのはもう10年も前だし…
さぞかしヨボヨボになってるだろうなあ。いやことによったら
死んでるかも…」
などと言いながら人に尋ねると、
「等栽さん、ああ元気ですよ」
「ええっ、そうですか。家わかりますか」
「ええ、ここからまっすぐ行ってですね…」
なんてことになって、等栽の家をもとめて侘しい感じの町中を
進んでいくと、いかにも雰囲気のある感じで、夕顔やへちまが
はえかかり、門はははきぎ・鶏頭でおおわれた侘しい宿のたたずまいでした。
(おお、きっとこの家に違いない)
「もし、ちょっとお訪ねしますが」
「はい…?」
中からこれまた侘しい感じの女性が出てきました。
「お坊様ですか…?うちのに何か御用ですか。
今ですね、ちょっとそこの家まで行ってますので、
用があれば、訪ねていってみてくださいな」
その様子がいかにも浮世離れして、昔物語の世界から
抜け出してきたとしか思えない風情で、芭蕉はにんまりして
しまうのでした。
すぐに等栽に会いに行き、再会を祝します。
等栽の家はとても親切で二晩留めてくれ、いよいよ
月の名所敦賀へと旅立っていくのでした。
「先生、元気でなあー」
等栽は着物の裾をたくしあげてぴょんこぴょんこ飛び上がって、
見送りしてくれました。