金沢
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卯の花山・くりからが谷をこえて、金沢は七月中(なか)の五日也。爰(ここ)に大坂(おおざか)よりかよふ商人何処(かしょ)と云者(いうもの)有。それが旅宿(りょしゅく)をともにす。一笑と云ものは、此道(このみち)にすける名のほのゞ聞えて、世に知人(しるひと)も侍(はべり)しに、去年(こぞ)の冬、早世したりとて、其兄(そのあに)追善(ついぜん)を催すに、
塚も動け我泣声は秋の風
ある草庵(そうあん)にいざなはれて
秋涼し手毎(てごと)にむけや瓜(うり)茄子(なすび)
途中ギン(とちゅうぎん)
あかゝと日は難面(つれなき)もあきの風
現代文訳
卯の花山・くりからが谷を越えて、金沢に着いたのは七月二十五日であった。金沢には大阪から行き来している何処という商人がいて、同宿することとなった。
一笑というものは俳諧にうちこんでいる評判がちらほら聞こえてきて、世間では知る人もあったのだが、去年の冬、早世したということで、その兄が追善の句会を開いた。
塚も動け我泣声は秋の風
(意味)一笑よ、君の塚(墓)を目の前にしているが、生前の君を思って大声で泣いている。あたりを吹き抜ける秋風のように激しくわびしい涙なのだ。塚よ、私の呼びかけに答えてくれ!
ある草庵に案内された時に、
秋涼し手毎にむけや瓜茄子
(意味)瓜や茄子という秋野菜でもてなしをうけた。いかにも秋の涼しさがあふれる。みなさん、それぞれ瓜や茄子をむこうじゃないですか。その手先にも秋の涼しさを感じてください。
道すがら吟じたもの
あかあかと日は難面もあきの風
(意味)もう秋だというのに太陽の光はそんなこと関係ないふうにあかあかと照らしている。しかし風はもう秋の涼しさを帯びている。
語句
■卯の花山 富山県小矢部市にある歌枕。「明けぬともなほ影のこせ白妙の卯花山のみじか夜の月」(宗尊親王・新千載)。「那古の浦」と同じく「万葉集」では「卯の花の咲く山」という意味の普通名詞だったが、後に固有名詞に転じた。 ■くりからが谷 源平の古戦場。富山県と石川県の境にある倶利伽羅峠。倶利伽羅谷。治承2年(1183年)木曽義仲の軍勢が平維盛の軍勢に夜襲をかけ、倶利伽羅谷に突き落とす(平家物語「倶利伽羅落」)。『源平盛衰記』には義仲軍が牛の頭にたいまつをくくりつけて突進させた「火牛の計」を行ったと書かれている。 ■金沢 前田加賀守綱紀百二十万五千石の城下町。越後路の章で「加賀の府」とよばれている。 ■七月中の五日 七月十五日。盂蘭盆会の日。 ■何処 大阪の薬種商人。伊勢の人。芭蕉が上方にあったとき、しばしば訪れていた。「猿蓑」に二句所収されている。 ■一笑 小杉味頼。金沢の葉茶屋商人。通称茶屋新七。もとは貞門(松永貞徳がとなえた句風)属していたが、貞亨4年(1687年)ごろ芭門に入門した。「奥の細道」の旅をきき、芭蕉の来訪を心待ちにしていたが元禄元年(1688)36歳で亡くなった。芭蕉はその死を知らなかった。 ■此道にすける名 俳諧にうちこんでいる評判。 ■ほのゞ聞えて ちらほら聞こえてきて。 ■其兄 一笑の兄。俳号ノ松(べっしょう)。一笑追善集『西の雲』を編集。 ■塚もうごけ… 追善会は7月22日金沢の願念寺で催された。 ■ある草庵 斉藤一泉の松玄庵(犀川の岸辺)。 ■秋すゞし… 初案「残暑しばし手毎にれうれ瓜茄子」(『西の雲』)。 ■途中ギン 金沢から小松へ向かう途中で吟じた句の意味。
解説
金沢は加賀百二十万五千石の城下町です。兼六園のライトアップはぜひ見ておきたいところです。しかし、芭蕉と曾良はここ金沢の地で知人の死を知らされることになりまする。
「なんですと一笑が」
「ええ。去年の冬…」
小杉一笑は、金沢で茶屋を生業にしていましたが、芭蕉の門下にありました。『おくのほそ道』の旅に芭蕉が出るときき、会うのを心待ちにしていましたが、去年の冬なくなり、芭蕉はその死を知りませんでした。その兄が追善の句会を開きました。
「来てくださって、弟もさぞ喜んでおりましょう」
「…それにしても、まだまだ若いのに。人の命というものは、
わからないものですなあ」
一笑の塚の前に立つと、さまざまな故人の思い出が胸をよぎります。自分だって、こんな旅から旅へわたり歩いているが、いつ死ぬかわからない。そう考えると、人の縁というものは、不思議なものだ…。涙が、おさえられず、流れ出てきました。
塚も動けわが泣く声は秋の風
『おくのほそ道』の中でももっとも激しく、絶唱ともいえる句です。
金沢から小松へ向かう道すがら詠みました。
あかあかと日はつれなくも秋の風
日はあかあかと暑い感じだが、もう風は秋の冷たさがある。わかる句ですよね。この時期にぴったりじゃないですか。なんとなくもの悲しい感じもするし、ワクワクする時期でもあります。
この時期、たとえば夕方買い物に行って、スーパーを出ると、すーと秋風がふいている時なんかに思い出してください。口をついてつぶやくんです芭蕉の句を。
あかあかと日はつれなくも秋の風