笠島

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鐙摺、白石の城を過、笠島の郡(こおり)に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと、人にとへば、「是より遙右に見ゆる山際の里を、みのわ・笠島と云、道祖神の社、かた見の薄、今にあり」と教ゆ。此比(このごろ)の五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺やりて過るに、蓑輪・笠島も五月雨の折にふれたりと、

笠島はいづこさ月のぬかり道

岩沼に宿る。

現代語訳

鐙摺、白石の城を過ぎて、笠島の宿に入る。

藤中将実方の墓はどのあたりだろうと人に聞くと、「ここから遙か右に見える山際の里を、箕輪・笠島といい、藤中将がその前で下馬しなかったために落馬して命を落としたという道祖神の社や、西行が藤中将について「枯野のすすき形見にぞ見る」と詠んだ薄が今も残っているのです」と教えてくれた。

このところの五月雨で道は大変通りにくく、体も疲れていたので遠くから眺めるだけで立ち去ったが、蓑輪、笠島という地名も五月雨に関係していて面白いと思い、一句詠んだ。

笠島はいづこさ月のぬかり道

(実方中将の墓のあるという笠島はどのあたりだろう。こんな五月雨ふりしきるぬかり道の中では、方向もはっきりしないのだ)

その夜は岩沼に泊まった。

語句

■鐙摺 大木戸の北約8キロの山峡の小道。騎馬が一騎ずつしか通れないくらい道が狭く、鐙が摺れたためこの名がついた。現宮城県越河(こすごう)と斎川の間。 ■白石の城 伊達家の臣、片倉小十郎景綱が治める一万六千石の城下町。現宮城県白石市。 ■笠島の郡 名取郡指賀郷笠島邑(現宮城県名取市愛島(めでしま)笠島)。 ■藤中将実方 平安時代中期の歌人。一条天皇の時代(984-1011)。藤原行成と宮中で口論となり、冠をはたき落とした。このため一条天皇の怒りを買い、「歌枕見てまいれ」と陸奥守に左遷された。光源氏のモデルの一人と言われる。その最期は笠島道祖神の前を下馬せずに通り過ぎようとしたため道祖神の怒りに触れて落馬し、その傷がもとで亡くなったと伝承される。百人一首に「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」が採られている。墓は名取市愛島塩手北野にある。 ■右 芭蕉の進行方向からいうと左が正しいが、話している土地の人は芭蕉と向かい合っていたため「右」としたか。 ■みのわ 蓑輪。笠島の北約4キロ。現宮城県名取市高館川上。 ■道祖神 笠島道祖神神社。「道祖神」はす旅人の安全を守る神。実方がこの神社の前で下馬せず通ろうとしたため神罰にあたって落馬して死んだという(源平盛衰記・七)。 ■かたみの薄 「朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯れ野のすすき形見にぞ見る」(新古今・哀傷、山家集 西行)。実方の名前ばかりが廃れずに残っているが、今は枯れ野のすすきをその形見に見るばかりだ。平家物語「実盛」では北陸に散った老将、斉藤別当実盛を語るのにこの西行の歌が引用されている。その実盛のことは『奥の細道』小松に詳しく書かれている。 ■岩沼宿 この三文字をどう読むのか。「笠島」の章に入れるべきか次の「武隈の松」の章に入れるべきか説が分かれる。「岩沼」は仙台松前街道の宿駅。現宮城県岩沼市。仙台藩家臣・古市主膳源吉八千石の所領地。日本三代稲荷の一つとされる竹駒稲荷がある。

解説

笠島。この章から宮城県に入ります。藤中将実方伝説にまつわる地です。藤中将実方は平安時代中期、一条天皇の時代に生きた貴公子です。

宮中の花形的存在でしたが、ある時宮中で藤原行成と口論になり、その冠を叩き落します。それをきっかけに一条天皇のお怒りを買った実方は「歌枕見てまいれ」と陸奥国に左遷されます。

実方中将の最期について逸話が伝わっています。実方が笠島という所を馬で通りかかった時、道の傍に一つの祠がありました。

「ん?何だあの祠は」

村人に尋ねたところ、笠島の道祖神であると。昔、出雲路の道祖神の娘であったが、父の神のお怒りを買ってこの地に流されてきたのだと。

「霊験あらたかな神さまであらせられます。
殿も馬から降りて通られたほうがよろしかろうと思われます」

実方は怒りました。

「ふん。そんな素性のあやしい神にどうして下馬する必要がある」

そのまま素通りしようとします。

ぱっか、ぱっか、ぱっか、ぱっは

その時、笠島の道祖神がお怒りになりました。

「無礼なヤツじゃ」

ドーン!!

「ぎゃひいいい!!」

バッタ…

こうして馬は倒れ実方も振り落とされ、その傷がもとで亡くなったと伝えられます。

後に西行法師が実方の塚を訪ね、「朽ちもせぬその名ばかりを留め置きて枯野の薄形見とぞ見る(けして朽ちることの無いその名ばかりを留め置いて、実方中将の塚は荒れ果てている。私は枯野の薄を実方中将の形見と見るのだ)」と詠んでいます。

芭蕉は実方中将の塚を訪ねていきます。正確には訪ねる直前まで行きましたが、 折からの雨で道がぬかるんでいました。

「先生、雨でうっとうしいですよ。やめましょうよ」
「そうだな」

笠島はいづこさ月のぬかり道

あれほど歌枕に執着している芭蕉がなぜ雨ぐらいで実方中将の墓を素通りなのか?疑問が残る部分です。


朗読・訳・解説:左大臣光永

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