閑さや岩にしみ入る蝉の声

【意味】ああ何という静けさだ。その中で岩に染み通っていくような蝉の声が、いよいよ静けさを強めている。

この句が詠まれた章≫ 立石寺


ニイニイゼミかアブラゼミか、単数か複数か、この時期にセミは鳴かないだとか、昔からさんざん議論されてきた句です。

なぜそんな頭が痛くなるような、神経症的な、不毛な議論を延々と続けるのか、ぼくは不思議でならないです。一字一句余すところなく解釈しなければならないという強迫観念でも、あるんでしょうか…。

まあ後世の暇人たちに議論のネタを提供した、という点も芭蕉のエライところなのかもしれませんね。

「セミが鳴きしきってるのになぜ静かなのかわからない」という意見もあるようですが、あまり理詰めで考えず、神社などでぼさーとセミの声に身を委ねてみてください。

救急車とか、電車とか、ヘリコプターとか、雑踏のガヤガヤ音とは明らかに違います。音量自体はでかくても、セミの声て「静かさ」を感じる音だと思うんですが。

この句が詠まれた章≫ 立石寺

朗読・訳・解説:左大臣光永