草加

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ことし元禄二とせにや、奥羽長途(ちょうど)の行脚(あんぎゃ)、只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨を重ぬといへ共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若生て帰らばと定なき頼の末をかけ、其日漸(ようよう)早加と云宿にたどり着きにけり。痩骨の肩にかゝれる物、先くるしむ。只身すがらにと出立侍を、帋子(かみこ)一衣(いちえ)は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたき餞(はなむけ)などしたるは、さすがに打捨がたくて、路次(ろし)の煩(わずらい)となるこそわりなけれ。

現代語訳

今年は元禄二年であったろうか、奥羽への長旅をふと気まぐれに思い立った。

この年で遠い異郷の空の下を旅するなど、さぞかし大変な目にあってさらに白髪が増えるに決まっているのだ。

しかし話にだけ聞いて実際目で見たことはない地域を、ぜひ見てみたい、そして出来るなら再びもどってきたい。

そんなあてもない願いを抱きながら、その日草加という宿にたどり着いた。

何より苦しかったのは痩せて骨ばってきた肩に、荷物がずしりと重く感じられることだ。

できるだけ荷物は持たず、手ぶらに近い格好で出発したつもりだったが、夜の防寒具としては紙子が一着必要だし、浴衣・雨具・墨・筆などもいる。

その上どうしても断れない餞別の品々をさすがに捨ててしまうわけにはいかない。こういうわけで、道すがら荷物がかさばるのは仕方のないことなのだ。

語句

■奥羽 陸奥・出羽の二国。現在の福島、宮城、岩手、青森、秋田、山形。 ■呉天に白髪の恨 呉国の天に降る雪が、そのまま白髪になってしまうような、旅のつらさ。『詩人玉屑(ぎょくせつ)』に「笠ハ重シ呉天ノ雪、鞋(くつ)ハ香シ楚地ノ花」とある。また謡曲「竹雪(たけのゆき)に「いつを呉山にあらねども笠の重さよ、老の白髪となりやせん」とある。 ■早加 日光街道・奥州街道二番目の宿。「早い」感じを出すために敢えて表記を変えたものか。日光街道と奥州街道は日本橋から宇都宮まで同じ。 ■帋子 紙子紙で作った衣。紙子紙は、厚手の和紙に柿渋を引いたもの。

解説

草加せんべいで有名な、埼玉県の草加です。「奥の細道」の旅で芭蕉が最初に滞在した宿とされます。

ただし「曾良旅日記」によると実際には粕壁でした。演出上の都合から草加にしたものとわかっています。

比較的、実際の旅に沿って書かれているとされる「曾良旅日記」と比べると、芭蕉がどこに創作を凝らしたか。事実の旅から何を強調したか。何を省略したか、それによって何を表現しようとしたかが読み取れます。

少し言葉が難しいですね。「呉天に白髪の恨を重ぬといへ共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若生て帰らばと定なき頼の末をかけ…」

「呉天」は中国江南地方、呉の国のことで、古い詩に「笠は重し呉天の雪」とあります。つまり、呉の国の天に降る雪が笠に積もって重い。芭蕉はおそらくこの句をふまえて、古い詩にある笠に覆いかぶさる呉天の雪のように、私の頭は白髪だらけになってしまったと言っているわけです。

とはいえ芭蕉はこの歳まだ46歳ですし、髪の毛が真っ白というのも大げさです。そもそも髪の毛を剃っているし…。実際の旅をそのまま書くのではなく、悲痛な覚悟に満ちた感じを演出しているわけです。

旅立ちにあたっていろいろ餞別の品をもらったが、旅のわずらいになる…でもせっかくもらったんだから捨てるのも忍びない。やれやれという、芭蕉の人のいい感じが出ていて味があります。

今の草加市松原(東武スカイツリーライン松原団地駅)の綾瀬川沿いの遊歩道には「奥の細道」にちなんだ百代橋、矢立橋という歩道橋がかかっており、名物になっています。

草加は江戸時代に日光街道および奥州街道第二の宿として栄えました。しかし、もとはここに宿はありませんでした。

江戸時代初期、家康が江戸に居城をさだめた頃は、千住から越谷の途中に宿はなく、このあたりは沼地でした。なので千住から越谷へ行くには大きく東へ迂回しないといけませんでした。

これは不便だということで、大川図書という人物が付近の人々と相談して、道路を整える許可を得ます。大川図書らは沼地を泥や草で埋め立てて、千住から越谷まで直線で行けるようにしました。

この時、沼地に「草を加えて」埋め立てたので「草加」という地名がついたといわれています。

千住と越谷の間が直線で行けるようになると、街道沿いに旅籠屋や茶店ができてにぎわいをみせてきます。寛永7年(1630年)年、この地に宿をつくることが命じられ、付近の村々が協力して草加宿が作られました。

以後、草加宿は日光参詣や参勤交代、また一般人の往来でにぎわうようになります。芭蕉が訪れた元禄二年は戸数120軒で、かなりのにぎわいだったようです。

『おくのほそ道』を味わう一つの形として、私は「芭蕉と曾良のやり取りを想像しながら読む」ということをオススメします。

せっかく芭蕉と曾良、二人いますからね登場人物が。ホームズとワトソンのように、かけあいによってストーリーが進んでいくことをイメージすると楽しいと思います。

たとえば「今年元禄二年にや」とありますが、これも、芭蕉と曾良の会話として考える場面が浮かびやすいです。

「曾良よ、今年は何年であったかな」
「先生、元禄二年です」

「む。ならば私も年を取ったなあ。
頭のものもすっかり白くなった」

「先生…なにが「ならば」ですか。先生はまだ46歳でしょ。
だいたい、髪剃っちゃってツルッパゲじゃないですか
『私も年を取ったなあ」て、それ言いたいだけでしょ。」

「だまりなさい曾良。気分を盛り上げていたのだ」

「呉天に白髪の怨みを重ぬ」…白髪が増えたということを漢文調にかっこよく表現しました。

一日歩きとおして、夕方、草加に到着し、その夜の宿を決め、どかっと荷物を下ろします。

みなさん絵なんかで芭蕉と曾良の旅の格好はだいたいイメージつきますでしょうか?

檜笠をかぶって、墨染めの衣に、ズダ袋という入れ物を首から前に 下げていました。このズダ袋にいろいろなものを入れました。

「紙子」という紙でつくられた軽い羽織、墨や筆、携帯用の墨と筆をセットにした 矢立というもの、芭蕉は胃腸が悪かったのでもしかしたら胃薬も入ってたかもしれませんね。いろいろな人が出発するにあたって、餞別してくれたんです。

「ありがたいがズシッとこう…肩にくるなあ」
「先生、だいぶ凝ってますね」

などと、曾良が芭蕉の肩をもんでいる様子も浮かんできそうです。


朗読・訳・解説:左大臣光永

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