尿前の関

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南部道遙にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小島を過て、なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山をのぼつて日既(すでに)暮ければ、封人(ほうじん)の家を見かけて舎(やどり)を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。

蚤虱馬の尿する枕もと

あるじの云、是より出羽の国に、大山を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼て越べきよしを申。さらばと云て、人を頼侍れば、究竟の若者、反脇指をよこたえ、樫の杖を携て、我ゝが先に立て行。けふこそ必あやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行。あるじの云にたがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜る行がごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分ゝ、水をわたり岩に蹶(つまづい)て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せしおのこの云やう、「此みち必不用(ぶよう)の事有。恙(つつが)なうをくりまいらせて仕合したり」と、よろこびてわかれぬ。跡に聞てさへ胸とヾろくのみ也。

現代語訳

南部地方へ続く遠い南部街道を目の前にして、岩手の宿に泊まった。小黒崎・みづの小島という歌枕の地を過ぎて、鳴子温泉から尿前の関にかかって、出羽の国に越えようとしたのだ。

この街道はめったに旅人など通らない道なので、関守に不審がられて色々きかれ、やっとのことで関を越すことができた。

鳴子から羽前に出る中山越えの山道をのぼったところ、もう日が暮れてしまったので、国境を警護する人の家をみつけて、一夜の宿をお願いした。

三日間嵐となり、することもない山中に足止めされてしまった。

蚤虱馬の尿する枕もと
(意味)こうやって貧しい旅の宿で寝ていると蚤や虱に苦しめられる。その上宿で馬を飼っているので馬が尿をする音が響く。その響きにさえ、ひなびた情緒を感じるのだ。

宿の主人の言うことには、これから出羽の国にかけては険しい山道を越えねばならず、道もはっきりしないので案内人を頼んで超えたがよかろうということだった。

ではそうしようと人を頼んだところ、屈強な若者が反り返った脇差を横たえて、樫の杖を持って私たちを先導してくれた。

今日こそ必ず危ない目にあうに違いないとびくびくしながらついて行った。

主人の言ったとおり、高い山は静まり返っており、一羽の鳥の声も聞こえない。うっそうと繁る木々の下は、まるで夜道のように暗い。

杜甫の詩に「雲の端から土がこぼれるようだ」とあるが、まさにそんな感じで、篠の中を踏み分けつつ進んでいき、渓流を越え岩につまづいて、肌には冷たい汗を流し、やっとのことで最上の庄についた。

例の案内してくれた男は「この道を通れば必ず不測の事態が起こるのですが今日は何事もなく送ることができ幸運でした」と言ってくれ、喜びあって別れた。

そんな物騒な道と前もってきかされていたわけではなかったが、それにしても胸がつまるような心持だった。

語句

■南部道 南部地方に通じる道。 ■岩手の里 「言わで」を掛けて歌う歌枕。現宮城県玉造郡岩手山町。 ■小黒崎 「をぐろ崎みつのこじまの人ならば都のつとにいざといはましを」(古今和歌集)「をぐろ崎みつのこじまにあさりする田鶴ぞなくなり波たつらしも」(順徳院) 岩手山町の西北16キロ余り。現玉造郡鳴子町名生定、荒雄川北岸の小山。 ■みづの小島 小黒崎の南西、荒雄川の中の小島。歌枕。 ■鳴子の湯 鳴子温泉。現玉造郡鳴子町。 ■尿前の関 鳴子温泉西約2キロにあった伊達領と新庄領の境界。 ■出羽の国 山形と秋田の地域。 ■大山 尿前から境田へ向かう途中の出羽街道中の山越え。 ■封人 国境を守る番人。境田(現山形県最上郡最上町)の庄屋有路家。 ■よしなき 取るに足らない。 ■「蚤虱…」 長い間「バリ」か「シト」が議論が続いたが中尾本に「バリ」のルビが確認できたことにより「バリ」で定着した。 ■大山 山刀伐(なたぎり)峠。 ■反脇差 「脇差」は武士が腰にさす「大小」の「小」のほう。その刀身が反り返っているということ。ここでは護身用の短刀。 ■高山森々として一鳥声きかず 王安石「鐘山即事」より。「一鳥不鳴山更幽(一鳥鳴かず山更に幽なり」 ■雲端に土ふる心地 杜甫「鄭【馬+付】馬潜曜ト洞中に宴ス」の詩句「已入風磑霾雲端」(すでに風磴(ふうとう)に入りて雲端に霾(つちふ)る)」をふまえる。雲の端から砂まじりの風が吹き降ろしてあたりが朦朦と煙っている様子。 ■最上の庄 現山形県尾花沢町 大石田町を中心とした地域。 ■不要の事 不都合な事。

解説

南部地方へ続く遠い南部街道を目の前にして、岩手の宿に泊まります。小黒崎・みづの小嶋など歌枕の地を通り過ぎていき、出羽の国へ越えようとすると、

「お前たち、何だ。こんな所に何のようだ」
「私たちは歌枕の地をさぐって」
「はあ?歌枕?何言ってんだ」

さんざん怪しまれて、なかなか関所を通してもらえませんでした。

鳴子から羽前へ出る山道を越えていくと、もう日が暮れてしまったので、その日は国境警備の人の家に泊まらせてもらいます。

みすぼらしい宿で、蚤や虱がちくちくして、その上寝ていると、枕元から、

ボチャボチャボチャボチャ…

何の音ですか。馬のおしっこです。

蚤虱馬の尿する枕もと

痒くなるような句ですね。夏目漱石は小説『草枕』の中で、この句を絶賛しています。「芭蕉は枕元で馬が尿(いばり)するのさえ風流なことと見立て句にした」と。

宿の主人が言います。

「ここからは道がややこしいですよ。道案内を雇いなさい」
「そうですか。では」

人を雇うと、「オス!」という感じの屈強そうな若者が、樫の杖を携えて、反り返った脇差を横たえて、芭蕉と曾良の前を歩いていきます。

「今日こそはひどい目にあうんじゃないかなあ」
「先生、大丈夫でしょうか」

高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜る行がごとし。

うっそうとした山道を進んでいき、なんとか最上の庄にたどり着きました。

案内してくれた若者が言います。

「この道はまず安全には通れないのです。獣に襲われたり、山賊が出たり、ロクなことないです。今日は何もなくて、よかった」

「そ…そんなにキケンな道だったのか」

芭蕉と曾良は顔を見合わせてヒヤリとしました。


朗読・訳・解説:左大臣光永

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