石巻

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十二日、平和泉と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞伝て、人跡稀に雉兎蒭蕘(ちとすうじょう)の往かふ道そこともわかず、終に路ふみたがへて、石の巻といふ湊に出。「こがね花咲」とよみて奉たる金花山、海上に見わたし、数百(すはく)の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、竈の煙立つヾけたり。思ひかけず斯る所にも来れる哉と、宿からんとすれど、更に宿かす人なし。漸(ようよう)まどしき小家に一夜をあかして、明れば又しらぬ道まよひ行。袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、 遙なる堤を行。心細き長沼にそふて、戸伊摩と云所に一宿して、平泉に到る。其間廿余里ほどゝおぼゆ。

現代語訳

十二日、いよいよ平泉を目指して進んでいく。あねはの松・緒だえの橋など歌枕の地があると聞いていたので、人通りもとぼしい獣道を、不案内な中進んでいくが、とうとう道を間違って石巻という港に出てしまった。

大伴家持が「こがね花咲」と詠んで聖武天皇に献上した金花山が海上に見える。数百の廻船(人や荷物を運ぶ商業船)が入り江に集まり、人家がひしめくように建っており、炊事する竈の煙がさかんに立ち上っている。

思いかけずこういう所に来たものだなあと、宿を借りようとしたが、まったく借りられない。ようやく貧しげな小家に泊めてもらい、翌朝またハッキリしない道を迷いつつ進んだ。

袖のわたり・尾ぶちの牧・まのの萱原など歌枕の地が近くにあるらしいが所在がわからず、よそ目に見るだけで、どこまでも続く川の堤を進んでいく。

どこまで長いか不安になるような長沼という沼沿いに進み、戸伊摩というところで一泊して、平泉に到着した。その間の距離は二十里ちょっとだったと思う。

語句

■平和泉 平和泉とも書いた。岩手県西磐井郡平和泉町。奥州藤原氏の遺跡、毛通寺、中尊寺で有名。 ■あねはの松 宮城県栗原市金成町。姉歯の松。「栗原のあねはの松の人ならば都のつとにいざといはましを」(伊勢物語・十四)「栗原のあねはの松をさそひても都はいつと知らぬ旅かな」(夫木和歌抄) ■緒だえの橋 宮城県古川市。「白玉のおだえの橋の名もつらしくだけて落る袖の涙に」(定家)「陸奥の緒絶の橋や是ならむふみみふまずみ心まどはす」(後拾遺・恋三 左京大夫道雅) ■雉兎蒭蕘の往かふ道 「雉」=きじ、「兎」=うさぎ、「蒭」=漁師、「蕘」=きこり。獣道のこと。 ■道ふみたがえて 実際に迷ったわけではなく文学的修辞。  ■石巻 北上川河口の港町。現宮城県石巻市。■ 「こがね花咲」 「すめろぎの御世栄えむとあづまなるみちのくの山にこがね花咲く」(大伴家持・万葉集)。聖武天皇に献上した歌。奥州は金の産地として知られていた。 ■「金花山、海上にみわたし」 牡鹿半島の対岸にある金花山(金華山)は、実際は石巻からは見えない。芭蕉の演出と思われる。 ■竈のけふり 「高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」(新古今・賀 仁徳天皇)。 ■袖のわたり 石巻市北上川河口付近。「みちのくの袖のわたりの涙がは心のうちにながれてぞすむ」(相模・新後拾遺和歌集) ■尾ぶちの牧 旧北上川の東岸にある牧山。尾駮の牧。平安時代の馬の牧場が歌枕になったもの。「陸奥のをぶちの駒も野飼ふには荒れこそまされ懐くものかは」(相模・新後拾遺和歌集) ■真のゝ萱原 真野川流域の台地。真野の萱原。「陸奥の真野のかや原遠けども面影にして見ゆといふものを」(笠女郎・万葉集)「冬枯れの真野の萱原穂に出でし面影見せて置ける露かな(大江忠房・新拾遺和歌集)。 ■戸伊摩 戸今とも。宮城県登米(とめ)郡登米(とよま)町。郡名と町名の読みが違うのがポイント。これは歌枕ではない。 ■平泉に至る 冒頭「平泉と心ざし」と対応。

解説

石巻はJR仙石線で仙台から90分。北上川が石巻湾に注ぎ込む所にある港で、漁船が多く出入りするところです。東はリアス式海岸の牡鹿半島(おしかはんとう)、金華山に続きます。

2011年の東日本大震災で石巻は津波の直撃を受け、甚大な被害が出てしまいました。多くの方が亡くなられ、今なお復興ができていません。特に北上川河口に近い大川小学校では、70人を超える児童が亡くなりました。

亡くなった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

さて『おくのほそ道』文中には、「道に迷っていろいろ歩いた末に、迷い出た」という話になっていますが、これは文学的虚構です。実際にはしっかり道をたどって行ったことが『曾良旅日記』を読むとわかります。

「「こがね花咲く」とよみて奉りたる金華山、海上に見渡し」…大伴家持の歌によります。

「すめろぎの御世栄えむとあづまなるみちのくの山にこがね花咲く」(天皇の御世が栄えてくださいと、あづまにある陸奥の金華山に黄金の華が咲きます)。大伴家持が聖武天皇に献上した歌です。

金華山は牡鹿半島(おしかはんとう)沖の島で、かつては金が産出されました。山という名がついていますが、山ではなく、島です。全国で島に山とついているのは金華山だけです。

地図を見てもらえばわかりますが、石巻から金華山…ぜったいに見渡せません。

金華山
金華山

ぱっと視界が開けて海の向うに金華山が見えたという華やかさの演出だと思われます。または

「竈のけふり立つづけたり」の表現には、仁徳天皇が民の家々から竈の煙が上がっていないのを見て不景気だということで税を免除して、何年からして再び見ると竈から煙が上がっていたので税を戻したという逸話を思い起こさせられます。

現在、石巻港を見下ろす日和山公園に、芭蕉と曾良の像が立っています。「おくのほそ道紀行300年記念」として昭和63年に建てられたものです。

こうして歌枕の数々を訪ねながら、いよいよ最大のクライマックスとも言うべき、平泉に到着します。


朗読・訳・解説:左大臣光永

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