仏五左衛門

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卅日、日光山の麓に泊まる。あるじの云けるやう、「我名を仏五左衛門と云。万正直を旨とする故に、人かくは申侍まゝ、一夜の草の枕も打解て休み給へ」と云。いかなる仏の濁世塵土に示現して、かゝる桑門の乞食巡礼ごときの人をたすけ給ふにやと、あるじのなす事に心をとゞめてみるに、唯無智無分別にして正直偏固の者也。剛毅木訥の仁に近きたぐひ、気稟の清質、尤尊ぶべし。

現代語訳

三月三十日、日光山のふもとに宿を借りて泊まる。宿の主人が言うことには、「私の名は仏五左衛門といいます。なんにでも正直が信条ですから、まわりの人から「仏」などと呼ばれるようになりました。そんな次第ですから今夜はゆっくりおくつろぎください」と言うのだ。

いったいどんな種類の仏がこの濁り穢れた世に御姿を現して、このように僧侶(桑門)の格好をして乞食巡礼の旅をしているようなみすぼらしい者をお助けになるのだろうかと、主人のやることに心をとめて観察していた。

すると、打算やこざかしさは全くなく、ただひたすら正直一途な者なのだ。

論語にある「剛毅朴訥は仁に近し(まっすぐで勇敢で質実な人が仁に近い)」という言葉を体現しているような人物だ。

生まれつきもっている(気稟)、清らかな性質(清質)なんだろう、こういう者こそ尊ばれなければならない。

語句

■卅日 元禄2年(1689年)三月は小の月で三十日は無かった。実際は四月一日。『曾良旅日記』によれば、四月一日昼に日光を見物し、その夜仏御左衛門宅に泊まった。構成上、日光を月がかわった一日に持ってくるために日付を前後させ「卅日」になったものか? ■日光山 下野国の日光東照宮。 ■仏御左衛門 『撰集抄』巻2第8「初瀬山迎西(こうさい)聖人之事」に出てくる迎西聖人の人物像を踏まえたか? ■濁世塵土 濁り穢れた世。 ■示現 神仏が現世に仮の姿を現されること。 ■桑門 出家して修行する人。僧侶。 ■無智無分別 打算やこざかしさが無いこと。 ■正直偏固 正直一途なこと。 ■剛毅木訥の仁に近きたぐひ 「子曰く、剛毅木訥、仁に近し(まっすぐで勇敢で質実な人が仁に近い)」(論語・子路) ■気稟の清質 「気稟(きひん)」は生まれつきの気質・気前。「清質」は気立てが清らかであること。

解説

芭蕉は日光山のふもとで一泊します。宿の主人は仏五左衛門といって、なかなか味のある人物です。

「私は正直者でこのあたりでは通っています。あまりに正直なので、みなさん私のことを仏さんなんて言ってます。とにかく正直ですから、何も心配なく、ぐっすりお休みになってください」

「先生、何でしょうねあの主人。自分で自分のことを正直正直って、少し図々しくはないですか」

「いやいや曾良、そんなこと言ってはいかんよ。ああいうまっすぐな人柄こそ尊いのだ。ご主人の上に仏があらわれているのだ」

そんなやり取りも目に浮かぶようです。

「卅日、日光山の麓に泊まる」とありますが、元禄2年(1689年)三月には三十日はありませんでした。実際は四月一日です。『曾良旅日記』によれば、四月一日昼に日光を見物し、その夜仏御左衛門宅に泊まったとあります。章の順番が実際の旅と前後しているわけです。

これも構成上、日光を月がかわった一日に持ってくるためだったと思われます。

仏五左衛門を評して、芭蕉は「剛毅朴訥の仁に近きたぐい(口ばっかり達者で見かけがいいやつは信用できない、地味でかざりっけのない人こそ信じられるのだ)」と言ってます。論語の言葉「色巧言令色鮮なし仁」「剛毅朴訥は仁に近し」に基づきます。


朗読・訳・解説:左大臣光永

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