天竜寺・永平寺

原文

丸岡天竜寺(まるおかてんりゅうじ)の長老、古き因(ちなみ)あれば尋ぬ。又、金沢の北枝(ほくし)といふもの、かりそめに見送りて此処(このところ)までしたひ来る。所々の風景過さず思ひつヾけて、折節(おりふし)あはれなる作意など聞ゆ。今既(すでに)別(わかれ)に望みて、

物書て扇引さく余波哉

五十丁山に入て、永平寺を礼す。道元禅師の御寺也。邦機(ほうき)千里を避て、かゝる山陰に跡をのこし給ふも、貴きゆへ有とかや。

語句

■丸岡天竜寺 「丸岡」は誤り。天竜寺があるのは松岡町。松平中務大輔昌勝五万石城下町。現福井県吉田郡松岡町。「天竜寺」は松岡町にある曹洞宗の寺。山号は清涼山。松平家の菩提寺。永平寺の末寺。 ■長老 禅宗で住職のこと。当時の長老は大夢和尚。かつて江戸品川の天龍寺にいた。 ■北枝 立花源四郎。立花北枝。加賀の人。研刀業。後に加賀蕉門の中心人物となる。『奥の細道』の旅で芭蕉の訪問を受け、兄牧童と共入門した。芭門十哲の一。「さゞん花に茶をはなれたる茶人哉」 ■あはれなる作意 句のどこにあわれさがあるかという意図? ■永平寺 曹洞宗の総本山。現福井県吉田郡永平寺町。山号は吉祥山。道元禅師開基。 ■道元禅師 鎌倉時代初期の禅僧。曹洞宗の開祖。13歳で比叡山にのぼり、翌年出家。宋に渡り帰国後、永平寺を開いた。著書『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)

現代語訳

丸岡の天竜寺の長老は古い知人だから訪ねた。また、金沢の北枝というものがちょっとだけ見送るといいつつ、とうとうここまで慕いついてきてくれた。

その場その場の美しい景色を見逃さず句を作り、時々は句の意図を解説してくれた。その北枝ともここでお別れだ。

物書て扇引さく余波哉
(意味)金沢の北枝としばらく同行してきたが、いよいよお別れだ。道すがら句を書きとめてきた扇を引き裂くように、また夏から秋になって扇をしまうように、それは心痛む別れなのだ。

五十丁山に入って、永平寺にお参りする。道元禅師が開基した寺だ。京都から千里も隔ててこんな山奥に修行の場をつくったのも、禅師の尊いお考えがあってのことだそうだ。

解説

金沢から同行してきた北枝との別れが印象的な場面です。

越前福井に入り曹洞宗の寺・天竜寺を訪れます。金沢から立花北枝がずっと同行してきました。

「先生、この句はこうなんですよ」
「こういう意図があるんですが…どうでしょうか」
「うーん、ちょっとここはこうしたほうがいいですね」

などと言いながら進んできて、いよいよお別れという段になると、
やはり句を詠んで別れるのでした。

ふところから取り出した扇にさらさらさらっと句を書いて、つーーと引き裂くように、私たちはここでもう、お別れだということで、

物書きて扇引き裂く名残かな

その後、はるかに山道をのぼっていき、禅宗の総本山ともいえる道元禅師の開いた永平寺を訪ねます。芭蕉も座禅でも組んだかもしれませんね。


朗読・訳・解説:左大臣光永


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