末の松山

原文

それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は、寺を造て末松山(まっしょうざん)といふ。松のあひゝ皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬる契の末も、終(ついに)はかくのごときと、悲しさも増りて、塩がまの浦に入相のかねを聞。五月雨の空聊はれて、夕月夜(ゆうづくよ)幽に、籬(まがき)が島もほど近し。蜑(あま)の小舟(をぶね)こぎつれて、肴わかつ声ゝに、「つなでかなしも」とよみけん心もしられて、いとゞ哀也。其夜盲法師(めくらほうし)の琵琶をならして、奥上るりと云ものをかたる。平家にもあらず、舞にもあらず、ひなびたる調子うち上て、枕ちかうかしましけれど、さすがに辺土の遺風忘れざるものから、殊勝に覚らる。

語句

■野田の玉川 多賀城碑の東1Kmにある小川。多賀城と塩竃の境。本邦六玉川の一つとされる。月の名所。歌枕。 「ゆふさればしほ風こしてみちのくののだの玉川千鳥鳴くなり」(新古今 能因)。■沖の石 多賀城碑の南東3Km末の松山にある池の中の石。「わが袖はしほひに見えぬおきの石の人こそしらねかわくまぞなき」(二条院讃岐 百人一首92番)。 ただし二条院讃岐の歌の「沖の石」は固有名詞ではなく、逆にこの石によって名づけられたともいう。 ■末の松山 現宮城県多賀城市末松山宝国寺の裏にある小山。沖の石北100m。歌枕。「変わらない恋心」の象徴として詠まれる。「契きなかた身に袖をしぼりつゝ末の松山浪越さじとは」(清原元輔・百人一首42番)。(意味)約束しましたよね。互いに涙の袖をしぼりながら。末の松山を波がけして越えないように、けして心変わりはしないと。離れている間に浮気した恋人をとがめる歌。末の松山は岸から遠いところにあったから「末の松山を波が越える」とは「絶対起こらないこと」=「心変わり」の意味。「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」(古今集・東歌)。奥の細道「象潟」にも清原元輔の末の松山の歌を念頭に置いた句がある。 ■末松山 末松山宝国寺。寺の裏に末の松山があり連理の枝を模した相生の松が生えていた。 ■はねをかはし枝をつらぬる契 「比翼連理」。白楽天「長恨歌」より。永遠に仲睦まじくありましょうという男女の誓い。生まれかわって鳥になったら空で翼を並べましょう、植物になったら枝をつらねましょうということ。 ■塩がまの浦 千賀の浦とも。宮城郡にある歌枕。松嶋八景の一つ。「みちのくはいづくはあれど塩竃の浦こぐ舟の綱手かなしも(みちのくは何処でも趣深いが、その中でも塩竃の浦で舟を綱で引っ張って漕ぎ出すのが特に趣深いなあ)」(古今・よみ人しらず) ■入相の鐘 夕暮の鐘。晩鐘。 ■籬が島 慶長12年(1607年)伊達政宗が修造した塩竃沖の小島。現宮城県塩竃市塩竃港内。歌枕。「わがせこを都にやりて塩がまのまがきの島のまつぞ悲しき」(古今集・東歌)。 ■蜑の小舟 漁師の小舟。 ■つなでかなしも 「世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも」(源実朝)。(意味)世の中は常にこのままであってほしい。漁師の小舟がへさきにくくった網で陸地から引かれていく、当たり前の光景がなんと愛しいことだろう!「もがもな」は、もがも(願望)+な(詠嘆)。「かなしも」は形容詞「かなし」の終止形+詠嘆の終助詞「も」 または「みちのくはいづくはあれど塩竃の浦こぐ舟の綱手かなしも(みちのくは何処でも趣深いが、その中でも塩竃の浦で舟を綱で引っ張って漕ぎ出すのが特に趣深いなあ)」(古今・よみ人しらず)■塩釜(塩竈)の浦 光源氏のモデルといわれる源融(河原左大臣)の邸宅があった。「陸奥はいづくはあれど塩釜の浦こぐ舟の綱手かなしも」(古今集・東歌)「ふる雪にたく藻の煙かきたえてさびしくもあるか塩釜の浦」(新古今・九条兼実)「見し人の煙になりしゆふべより名ぞむつまじき塩竈の浦」(紫式部) ■籬が島 塩竈湾内の小島。「塩釜の浦ふく風に秋たけて籬が島に月かたぶきぬ」(金塊集)「卯の花の咲ける垣根はみちのくの籬が島の波かとぞ見る」(拾遺) ■奥浄瑠璃 琵琶にあわせて義経が奥州へ逃れる物語などを語ったらしい。 ■舞 幸若舞。室町時代、幼名を幸若丸といった桃井直栓が声明・平曲などの曲節を取り入れた創始した声曲。織田信長が好んで舞ったという「敦盛」が有名。≫平家物語『敦盛最期』 ■辺土の遺風 片田舎に残る古い文化。

現代語訳

それから野田の玉川・沖の石など歌枕の地を訪ねた。末の松山には寺が造られていて、末松山というのだった。

松の合間合間はみな墓のの並ぶところで、空にあれば比翼の鳥、地にあれば連理の枝「比翼連理」という言葉があるが、そんな睦まじく誓いあった仲でさえ最後はこのようになるのかと、悲しさがこみ上げてきた。

塩釜の浦に行くと夕暮れ時を告げる入相の鐘が聞こえるので耳を傾ける。五月雨の空も少しは晴れてきて、夕月がかすかに見えており、籬(まがき)が島も湾内のほど近いところに見える。

漁師の小舟が沖からこぞって戻ってきて、魚をわける声がする。それをきいていると古人が「つなでかなしも」と詠んだ哀切の情も胸に迫り、しみじみ感慨深い。

その夜、目の不自由な法師が琵琶を鳴らして、奥浄瑠璃というものを語った。平家琵琶とも幸若舞とも違う。本土から遠く離れたひなびた感じだ。それを高い調子で語るから、枕近く感じられてちょっとうるさかったが、さすがに片田舎に古い文化を守り伝えるものだから興味深く、感心して聴き入った。

解説

?芭蕉と曾良は宮城県の松山を訪ねます。

「ああ…これは」
「なんということですか…」

そこは松の合間合間に墓が並ぶ、みすぼらしい場所となっていました。
末の松山は、「変わらない愛」の象徴として詠まれる歌枕です。

百人一首42番
清原元輔の歌が有名です。

契きなかた身に袖をしぼりつゝ
末の松山浪越さじとは

(約束したじゃないですか。お互いに涙に袖をしぼりながら
けして浮気はしないと。それなのにあなたは、ああ、あなたは、
したんですね。浮気を!)

浮気をしないと堅く誓ったのに、その誓いは守られなかったんです。

「末の松山」はかなり内陸部にあるので、
「末の松山が波を越す」とは、「ぜったいにありえないこと」
多くは「浮気すること」のたとえとして歌に詠まれます。

そして多くはその誓いは破られます。

君をおきてあだし心をわが持たば
末の松山波も越えなむ

(あなたを差し置いて浮気心を私が持てば、
末の松山を波が越えてしまうでしょう)

この東歌も有名です。

『源氏物語』では光の君が明石に流されたとき、
都に残された紫の上が、光の君が明石で恋人を作ったことを知ったとき、

うらなくも思ひけるかな契りしを
松より波は越えじものぞと

(何の疑いもなく信じていました。あなたが浮気しないと
約束したことを。でも騙されてしまいました)

こういう歌もあり、末の松山は、
「かわらぬ恋心」のたとえとして歌に詠まれてきました。

しかし、その末の松山も、今はまわりに墓が並んで、
変わらない愛を誓い合っても、最後はこうなってしまうのかなあ。
先生、いろいろ考えさせられますねえ、などと感慨にふけっていると、

ゴーーン

塩釜の浦に夕暮れ時の鐘が鳴り響き、
伊達政宗が修造したというまがきが島もほど近く見え、
漁師たちが舟をこぎつれて、えんやーこらせ、
えんやーこらせと掛け声をしていました。

世の中は常にもがもな渚こぐ
あまの小舟の綱手かなしも

(世の中は常にこのままであってほしい。
漁師の小舟がへさきにくくった網で陸地から引かれていく、
当たり前の光景がなんと愛しいことだろう!)

源実朝の歌の情緒も胸に迫り、しみじみするのでした。

夜、寝ていると枕元でべんべん聞こえてきます。

べんべんべんべん…

「おお…琵琶か」

それは義経が奥州へ逃れたことなどを物語にして、
琵琶にあわせて語ったもので、平家琵琶とも幸若舞ともちがった、
この地方特有の味わいがあり、
芭蕉は枕元に聞きながら、しみじみ感じ入りました。

では、

─────────────────
現在の末の松山へ行ってみましょう。
─────────────────
JR仙石線多賀城駅で降り、住宅街の中を進んでいくと、
坂の途中に墓地とこんもりしげった木々がみえてきます。

末の松山のある末松山宝国寺です。

寺の裏手には
「末の松山」があり、
案内板も出ています。

今回の震災でも、末の松山を波が越えることはなかったようです。

それにしても、ごくごく普通の住宅街です。

「ああ…ここが末の松山か。
芭蕉が訪れ、百人一首にも詠まれた末の松山か」

しみじみ感慨にふけっている横を、
主婦がチリンチリンと自転車で通り過ぎる。
歴史と生活が共存している感があります。

宝国寺裏手から坂を下りてちょっと歩くと、
せまい池があり、池の真ん中に石があります。

これが二条院讃岐の歌に詠まれた
「沖の石」です。

わが袖はしほひに見えぬおきの石の
人こそしらねかわくまもなし

二条院讃岐は源平合戦で以仁王の令旨をうけて
いちはやく挙兵した源三位入道頼政の娘で、
はじめ二条天皇に、のちに後鳥羽院のお后に
仕えました。

この歌は特に評判が高かったようで、
以後「沖の石の讃岐」とよばれるようになりました。

二条院讃岐がこの歌を詠んだときは
単に「沖に沈んだ石」のことだったのが、
歌があまりに有名になったため、
場所探しがはじまりました。

「二条院讃岐の歌に詠まれた『沖の石』は
どこなんだ?」と。

それで、なぜか宮城県の末の松山付近にある、
この「沖の石」が、二条院讃岐が詠んだ「沖の石」だ、
ということになりました。

このように、歌枕には最初、イメージだけがあり、
後から特定の場所が決められたものも多くあります。


朗読・訳・解説:左大臣光永


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