宮城野

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名取川を渡て仙台に入。あやめふく日也。旅宿をもとめて、四、五日逗留す。爰(ここ)に画工加衛門と云ものあり。聊(いささか)心ある者と聞て、知る人になる。この者、年比(としごろ)さだかならぬ名どころを考置侍ればとて、一日案内す。宮城野の萩茂りあひて、秋の景色思ひやらるゝ。玉田・よこ野、つゝじが岡はあせび咲ころ也。日影ももらぬ松の林に入て、爰を木の下と云とぞ。昔もかく露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。薬師堂・天神の御社など拝て、其日はくれぬ。猶、松島・塩がまの所々画に書て送る。且、紺の染緒つけたる草鞋二足餞す。さればこそ、風流のしれもの、爰に至りて其実を顕す。

あやめ草足に結ん草鞋の緒

現代語訳

名取川を渡って仙台に入る。ちょうど、家々であやめを軒にふく五月の節句である。宿を求めて、四五日逗留した。

仙台には画工加衛門という者がいた。わりと風流を解する者だときいていたから、会って親しく話してみた。

この加衛門という男は、名前だけ知れていて場所がわからない名所を調べる仙台藩の事業に長年携わっていた。案内役には最適なので、一日案内してもらう。

宮城野の萩が繁り合って、秋の景色はさぞ見事だろうと想像させる。玉田・よこ野という地を過ぎて、つつじが岡に来るとちょうどあせび咲く頃であった。

日の光も注がない松の林に入っていく。ここは「木の下」と呼ばれる場所だという。昔もこのように露が深かったから、「みさぶらいみかさ」の歌にあるように「主人に笠をかぶるよう申し上げてください」と土地の人が詠んだろう。

薬師堂・天神のやしろなどを拝んで、その日は暮れた。

それから加衛門は松島・塩竃の所々を絵に描いて、持たせてくれる。また紺色の染緒のついた草鞋二足を餞別してくれる。

なるほど、とことん風流な人と聞いていたが、その通りだ。こういうことに人物の本質があらわれることよ。

あやめ草足に結ん草鞋の緒

(加右衛門のくれた紺色の草鞋を、端午の節句に飾る菖蒲にみたてて、邪気ばらいのつもりで履き、出発するのだ。実際にあやめ草を草鞋にくくりつけた、ということでなく、紺色の緒をあやめに見立てようという、イメージ上のもの)

語句

■名取川 仙台の南方、名取平野を東に流れ太平洋に注ぐ一級河川。河口付近で広瀬川、笊川(ざるがわ)と合流する。歌枕。「埋もれ木」が産出されたため、出世しないで朽ち果てる比喩の「埋もれ木」の縁語となった。 ■仙台 伊達綱村四代藩主六十二万石の城下町。現宮城県仙台市青葉区。 ■あやめふく日 端午の節句の前日、邪気を祓うため、軒や庇に菖蒲を挿しかざす習慣があった。藤中将実方が陸奥に左遷されてきて端午の節句に菖蒲が無いのでかわりに「かつみ草」を挿した逸話が有名。 ■旅宿 国分寺町の大崎庄左衛門。 ■画工加衛門 大淀三千風(おおよどみちかぜ)門下の俳人で、俳号は和風軒加之(かし)。北野屋という俳諧書林を営んでいた。正しくは嘉右衛門。大淀三千風は伊勢の人。松島見学の後しばらく仙台に定住し仙台俳壇の中心となったが、この時はふたたび旅立っていた。 ■心ある者 風流を解する人。 ■宮城野の萩 仙台市東方郊外。萩で有名な歌枕。現宮城県仙台市宮城野区。「宮城野の本荒の小萩露をおもみ風をまつこと君をこそまて」(古今和歌集 よみ人しらず) ■玉田・よこ野 ともに仙台東郊外の歌枕。正確な場所は不明。小田原付近?「とりつなげ玉田横野のはなれ駒つつじが岡にあせみ咲くなり」(源俊頼) ■つゝじが岡 仙台の東方郊外、宮城野原の西の丘。躑躅の名所で知られる歌枕。「東路やつつじの岡をきてみればあがものすそにいろぞかよへる」「名にし負ふつつじが岡の下わらび共に折り知る春の暮れかな」現榴岡(つつじがおか)公園。 ■木の下 宮城野原の南。薬師堂一帯の地。歌枕。現仙台市宮城野区木ノ下。躑躅岡公園から南へ600メートルほど。 ■みさぶらひみかさ 「みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり(お供の人よ。ご主人に笠をかぶるようにお伝えください。ここ宮城野の木の下に落ちる露は雨より強烈ですから)」(古今集・東歌)。「みさぶらひみかさ」は「御侍御笠」。 ■薬師堂 木ノ下にある陸奥国国分寺跡に伊達政宗が建立した寺。 ■天神の御社 つつじが岡の東南にある天満宮。伊達綱村の建立。現躑躅岡公園の西。千石線・躑躅ケ岡駅の北100m。 ■塩竃 松島湾の西南。歌枕。現宮城県塩竃市。 ■風流のしれもの ただ者ではない風流人。完璧な風流人。最高のほめ言葉。

 

解説

名取川を渡って、仙台に入ります。折りしも菖蒲葺く日…端午の節句です。

宮城野は歌枕が特に多い地で、宮城野の歌枕だけで一冊本が書けるくらいです。

「さてこの歌枕の多い宮城野を、どういうふうに訪ねていこうか…」

そこで芭蕉は、画工加衛門という人物を紹介されます。加衛門は歌枕を収集する仙台藩の事業にかかわっている男でした。

「どうもどうも芭蕉先生。江戸でのご活躍、うかがっております」
「このたびは、ご案内を頼みます」

などといって、宮城野の進んでいきます。萩がうっそうと茂り、季節は春ですが、秋の景色はさぞ素晴らしいだろうと思われるのでした。

うっそうと茂った松林の中に入ると、まるで夜のように真っ暗に感じます。昔、主人とそのお供が宮城野の茂みの中に入っていったところ、道案内の男が歌を詠みました。

「みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり」

お供の方よ、ご主人に笠をかぶるよう申し上げてください。
宮城野の木の下の露は雨よりも激しいのですから。

さーと風がふいたら、パラパラパラーと降ってくるんでしょうね。

「みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり」…あの古い歌にある、これが宮城野の木の下露かと感慨にふけりながら、芭蕉と曾良と加衛門は進んでいきます。

そして日が暮れて、加衛門は松島や塩釜の名所を絵に描いて、くれます。そして紺に染めた緒をつけた草鞋を二足贈ってくれます。なにしろ長旅ですから、草鞋は何足あっても足りないくらいです。

しかも端午の節句にちなんで紺の染緒とはなかなか味なマネをするねえ曾良、あの加衛門という男は。はい、先生、とことん風流な方ですね。

あやめ草足に結ばん草鞋の緒

あやめ草のような紺の染緒のついた草鞋をはいて、出発するのだ。


朗読・訳・解説:左大臣光永

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