あさか山

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等窮が宅を出て五里ばかり檜皮ひはだの宿を離れてあさか山有。路より近し。此あたり沼多し。かつみ刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども、更知人なし。沼を尋、人にとひ、「かつみかつみ」と尋ありきて、日は山の端にかゝりぬ。二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。

現代語訳

等窮の家を出て五里ほど進み、檜肌の宿を離れたところにあさか山(安積山)が道のすぐそばにある。

このあたりは「陸奥の安積の沼の花かつみ」と古今集の歌にあるように沼が多い。昔藤中将実方がこの地に左遷された時、五月に飾る菖蒲がなかったため、かわりにこのり歌をふまえて「かつみ」を刈って飾ったというが、今はちょうどその時期なので、「どの草をかつみ草というんだ」と人々に聞いてまわったが、誰も知る人はない。

沼のほとりまで行って「かつみ、かつみ」と探し歩いているうちに日が山際にかかって夕暮れ時になってまった。

二本松より右に曲がり、謡曲「安達原」で知られる鬼婆がいたという黒塚の岩屋を見て、福島で一泊した。

語句

■檜皮の宿 仙台松前街道の宿。現福島県郡山市日和田町。 ■あさか山 浅香山・安積山。小さな丘。歌枕。現在の安積山公園(福島県郡山市日和田町安積山)。■花かつみ 「陸奥の安積の沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらむ(陸奥の安積の沼に咲いているという花かつみ。その「かつみ」という言葉のように、ちょっと見ただけの貴方を私はいつまでも来い慕い続けるのでしょうか)」(古今集・恋四・677 よみ人しらず)。正体は(一)花菖蒲・あやめ (ニ)真菰の異名のニ説がある。「真菰」は沼沢地に群生するイネ科の多年草。食べられる。 ■藤中将実方 平安時代中期の歌人。光源氏のモデルともいわれている。清少納言恋人とも。一条天皇の怒りを買い、陸奥守に左遷され、現地で没した。その就任中、端午の節句にこの地に菖蒲がなかったので代わりに花かつみを軒にさしたという故事がある。百人一首に「かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを」が採られる。 ■二本松 丹羽左京大夫長次十万石の城下町。現福島県二本松市。高村光太郎「樹下の二人」に「みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ」とある。 ■黒塚の岩屋 謡曲「安達原(あだちがはら)」に見える。安達が原を通る旅人を襲った鬼女は、僧佑慶に調伏され、黒塚の岩屋に葬れられた。「陸奥の安達が原の黒塚に鬼篭れりと言うは誠か」(拾遺・雑下 平兼盛)「涼しさや聞けば昔は鬼の家」(正岡子規) ■福島 堀田伊豆守正虎十万石の城下町。現福島県福島市。

解説

藤中将実方は平安時代中期一条天皇の時代の人物で、光源氏のモデルとも清少納言の恋人とも伝えられます。

宮中の花形的存在でしたが、ある時一条天皇のお怒りを買い、陸奥に左遷されます。陸奥国に下った実方は、都の習慣に従って五月五日に軒に菖蒲(あやめ)をかざそうとしました。

しかし、土地の者は誰も、菖蒲というものを知りませんでした。どうやらこの地には菖蒲は無いようでした。

「ええい。水草なら何でも同じだ。
こうこう、こういうヤツだ。似たようなのは無いか」

「安積沼の勝見が近いような気がします」

「それでいい。持ってこい」

こうして菖蒲のかわりに勝見を葺き、以後陸奥では端午の節句には勝見を葺く習慣となりったといいます。芭蕉はこの伝承にある「花かつみ」を訪ねてまわったのですが、ついに見つけることが出来ませんでした。

(藤中将実方について「奥の細道」では「あさか山」と「笠島」二章で言及されています)。


朗読・訳・解説:左大臣光永

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